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第11回受賞作品つたえたい、心の手紙

第11回受賞作品紹介(6作品)

平成30年5月1日~9月30日までの期間に募集しました、第11回「つたえたい、心の手紙」は総応募数1,119通の中から、審査員による厳正な選考の結果、下記の方々が受賞しました。 今回も数多くの方にご応募いただき、誠にありがとうございました。

受賞作品一覧

  • ねぇ、聞いてよ

    愛媛県 岡 博子 様 54歳

    あなたが旅立って、早くも五回目の夏が過ぎようとしています。  ねえ、聞いてよ。  寂しいです。  つまらないです。  会いたいです。  あなたがいたころは、休日を待ちかねていろんな所へ出かけたよね。四季折々の美しい自然を求めて山や渓谷、川や海などたくさん行ったよね。  家にじっとしているのが嫌いだった私たちは、二人が定年退職したら全国を愛車で旅しようとよく言ってたのに、あなたは肺ガンを患い二年間の闘病の末、家族を残し逝ってしまいましたね。  夫と言う名の相棒を失った私は、どこへも出かけられなくなり家で過ごすことが多くなってしまいました。だって一人出かけても全然楽しくないし、悲しくて辛くて虚しくなるだけだったから……。  家の中の不具合が起こった時、あなたがいなくなって自分の無力さに涙がこぼれたり、庭の手入れや草引きもすべて一人でやっていると無性に悲しくなってきたりしたものです。どれだけあなたに頼って生きてきたのか、ありがた味が後から後から分かってきて切ないです。  それでもあの日から私は、子どもたちの為にしっかりしなくてはと頑張ってきたつもりです。  ねえ、聞いてよ。あなたが亡くなった二年後、娘は縁あってステキな人と結婚し、とっても可愛い女の子が生まれたよ。初孫、あなたにも抱かせてあげたかった。目を細めてかわいがる姿が目に浮かびます。  それから大阪在住だった息子は、一人になった私を案じて戻って来てくれたよ。今は息子と二人暮らしで心丈夫です。あなた以上に釣り好きで、新鮮な刺身をご馳走してくれます。私たちのこと、これからもずっと見守っていて下さいね。

  • お父さんのぎゅっ

    熊本県 舛田 美子 様 60歳

     昔、子供だった頃、お父さんとよく手をつないで歩いてたね。お父さんの大きな手が、私の小さな手をぎゅっと握る。今度は私が、ぎゅっと握り返す。無口なお父さんとの会話は、お互いの手でだった。何もしゃべらないのに、楽しかったね。  お酒のおつまみを買いに行くと、お父さんはいつも殻の付いた落花生。私達子供は、キャラメルだった。一箱ずつのキャラメルがうれしくて、何度もぎゅっぎゅってしたよね。お父さんもうれしそうに、ぎゅっぎゅっと返してくれた。  なのに気付けば長い反抗期。お父さんが大工だということが私はいやだった。手に職があるという素晴らしさを、子供の私は知らなかったの。ごめんね。  ほとんど口をきこうとしない娘なのに、お父さんから叱られたことは一度もなかった。子供達三人とも。その分、お母さんがこわかったけどね。  ただただ真面目で、心優しいお父さん。お父さんが亡くなった時、私達以上に、会社の皆さんが泣いてくれた。愛されていたんだなーと、お父さんを誇りに思いました。  病院で、少しよろけたお父さんの手を、思わず握った時があったね。細くて弱い手だった。子供の頃、ぎゅっとしてくれた、力強い大きな手ではなかった。それでもぎゅっと私が握ると、ぎゅっと握り返してくれた。長い病院の廊下を一歩ずつ、二人で歩いたね。何も話さなかったけれど、神様のくれた時間だったような気がします。  今朝も、お父さんとお母さんの写真に「おはよう」の挨拶をしています。これからも、子供達や孫達のことを、見守って下さいね。  生真面目そうなお父さんと、ちょっと気取って笑っているお母さんの写真に、私はいつも励まされています。

  • 伝わっているよ

    神奈川県 朝野 康彦 様 35歳

     電車に乗るわけではないのに、ついつい駅の構内に入ってしまうことがある。そこで流れる、音声案内を聞きたいから。音声案内の女性の声が、母さんに似ているから。もうこんな癖が、10年近く続いている。10年たってもまだ、母さんの声が聞きたくなる。  10年前、脳卒中で突然この世を去ってしまった母さん。意識を失ってから1週間、がんばってこの世界にいてくれたね。会話はできなかったけど、「ありがとう」と「さようなら」を言わせてくれたね。  あれから、母さんの後を追うように、おばあちゃんも亡くなったよ。空の上で、もう会えたかな? 2人でのんびりお茶でも飲みながら、見守っててね。母さんとおばあちゃんが、島根弁で長電話していた思い出話をすると、いつもみんなで笑ってしまう。母さんとおばあちゃんのことを、みんな大好きだったから。  母さんが亡くなった時、まだ生後6ヵ月だった息子は、もう10歳になったよ。あれから、長女と次男も生まれて、今は5人家族で楽しくやってるよ。  母さんはよく、「あんたは小さいころは、天使のように可愛かった」って言ってくれたね。長男と初めて会ったときも「天使の子はやっぱり天使ね」って喜んでくれたよね。まだ先になるだろうけど、もし僕にも孫ができたら、同じ言葉を贈りたいと思ってる。母さんからもらった愛情を、子供にも、孫にも伝えたいから。  もうこの世にいないのは頭で分かっているはずなのに、母さんの声や面影を色々なところで探してしまう。だけど、最近気がついたんだ。子供たちの笑顔の中に、母さんの明るさが見えて、僕を元気にしてくれる。子供たちを見守る妻の背中に、母さんの優しさが重なって、僕を強くしてくれる。子供たちと話す自分の言葉に、母さんの意思を感じて、僕の背中を押してくれる。  みんなの中に、母さんが生きている―。そう思えるから、1日1日を大切に、生きていこうと前を向ける。母さんの愛は、みんなに伝わっているよ。

  • 大丈夫、大丈夫。

    千葉県 川本 早苗 様 46歳

     生まれも育ちも下町で、江戸っ子だったお母さん。お父さんと二人で惣菜店を切り盛りして「はい、おまけ」「今日はキンピラが美味しいよ」って店内は元気な声が響いていたね。買い物はしないけど、お母さんとお喋りしたいからって来てくれるお客さんもいたくらい、笑顔の絶えない店だったね。それと、お母さんの口癖だった「大丈夫」って言葉。笑顔とその言葉は家族やお客さん、みんなの元気の素だったね。   なのに、私はいつも不機嫌で、最期の会話も「会社に行きたくない」って愚痴ったら「大丈夫。気を付けて行っといで」って優しく言ってくれたのに、「何も知らないのに簡単に大丈夫って言わないで」って、顔も見ずに出かけてしまった。お母さんが自宅で倒れたって会社に連絡が入って、病院に駆け付けた時、もう間に合わなかった。くも膜下出血だった。お母さんが最期に見た私は、不機嫌で可愛くない娘だったね。あの時「ありがとう。頑張る」って、どうして言えなかったのかな。ひどい事を言って、ごめんね。今でもずっと後悔している。本当にごめんなさい。  あれから二十三年、私はお母さんの亡くなった年齢になったよ。私が嫌っていた、お母さんの口癖「大丈夫」は、今、私の口癖になっているんだ。可笑しいよね。  今ならね、お母さんの「大丈夫」って言葉の意味、分かる気がする。あなたの努力を知ってる、見守ってるから「大丈夫」。大変そうだけど応援してる「大丈夫」。話聞くよ、心配してるけど「大丈夫」。お母さんの「大丈夫」って相手の心に寄り添う、優しい言葉だったんだよね。  最近は高校生の息子に手を焼く毎日。でも、今度は私が家族に「大丈夫」って声をかける番だよね。時々、お母さんに似てきた自分を鏡で見ながら「大丈夫だよ」って呟(つぶや)く時もあるけど、でも「大丈夫」の意味を知っている私は、昨日より笑顔が増えているから。ねえ、お母さん、私は大丈夫だよ!

  • 最後の気持ちです

    神奈川県 草柳 ひとみ 様 43歳

    「ほんの気持ちです」。あなたが嫁の私に贈り物をする時にいつも添えてくれた言葉です。お誕生日、お中元、お歳暮は欠かさず贈ってくれましたね。実家に遊びに行けば、テーブルの端から端までびっしりのお料理を振るまってくれましたね。帰る時は必ず野菜やお菓子等、おみやげを持たせてくれたね。そして決まって「ほんの気持ちだから」と。私のお姑さん(ママ)はおもてなしの達人だって思ってたよ。  そんなママが乳癌に……。腫瘍の摘出手術、抗癌剤、放射線、民間療法……。色々な治療を試したけど良くなる事はなかったね。そして闘病生活五年目。再入院。医師から告げられたのは「余命三ヶ月。在宅治療か延命治療の選択を考えて下さい」と言われたの。つらい治療の中、ママはいつも笑顔だった。「負けないよ」と。だけど今回の入院と同時に話す事も歩く事もできなくなっちゃったね。医師に選択を迫られた夜、病院のロビーでお父さん、長男(私の主人)、次男、私で今後の事を話し合ったんだ。意見は分かれお父さんは「在宅治療は自信がない。設備の整っている病院でこのまま最期を迎えた方がいい」と。息子達はまさかの父親の言葉に驚いて大反発。「親父つめてえな。最期くらい自宅で面倒みれねえのか!!」と。私達は選択の食い違い、そしてママが生きられないという悲しみの中で大の男三人が人目も気にせず泣き崩れていたよ。答えは決まらずにその何時間後、突然ママは逝ってしまったんです……。 「ほんの気持ちです」。もしかしてママは聞こえていたの?自分の事で家族が言い争ってた事を。私の事で皆を困らす事はできないと思ったの?だから逝ってしまったの?いつもそうやって気配りして。最期もそうやって……。  たまには甘えてほしかった。いつも与えてくれるばかりで。だけどそれがママだもんね。ずっとずっと自慢のお姑さんだよ。

  • 手編みのセーターをありがとう

    岡山県 岸野 洋介 様 85歳

     昌子よ、ご機嫌はいかがかな。今日は毎年教会で行われるお前の合同追悼祭に出て、お祈りをした。そのあと娘の由佳夫婦と大学生になった孫の宏明と克尚と五人連れ立って墓参りをして帰ったところだ。  十年経ったので、俺は八十五歳になったよ。由佳夫婦も五十半ばを過ぎたよ。孫たちと、お前が今生きていたら、どんなお婆さんになっているだろうかと、みんなであれこれ話をし、大笑いもしたよ。  俺は八十五歳になったが、まだ元気で毎月歌会に出かけているよ。  歌会に出かけると、仲間が「終活、終活」と騒ぐので、俺も少しずつ片付けを始めたよ。先日、押し入れを片付けていたら、見覚えのないセーターが出てきた。  土曜日に由佳が掃除に来てくれたので、早速セーターを出して尋ねてみた。すると、 「これは母さんが編み物を習い、父さんにと編んだものよ。セーターを売っている洋品店に行ってみた母さんが、『私の編んだセーターでは、人前では着られない』と言って、店で新しいセーターを買って、父さんに着せて、自分の編んだセーターは黙って押し入れに仕舞い込んでしまったのよ。これは母さんの編んだ手編みセーターよ」 と教えてくれた。一言俺にも言っておいてくれたらと、今思ったよ。 「母さんの形見のセーターよ。今年の冬は家で母さんの手編みのセーターを着たら。今ちょっと着てみて。私が見てあげるから」 と娘が急かすので、着てみたよ。お前の温もりが伝わってくるような気がして、ふと遠い昔を思い出したよ。 「毛糸も太いし、色もグレイで、父さんによく似合う。家で着るのには、これで十分よ」 ニコニコしながら由佳が言うので、私も嬉しくなって、 「今年の冬はこれで」 と、言いつつセーターを見詰めたよ。ありがとう。

病室からの応援
東京都
大西賢 様
45歳
自慢の父さん
奈良県
城田由希子 様
55歳
父の伴走
京都府
芝本純子 様
53 歳
名前も知らない貴方へ
静岡県
杉山綾菜 様
17 歳
会いたいと言えばよかった
大阪府
市原希美 様
35 歳
お父さんへ
福島県
伊東由美 様
55 歳
母ちゃんありがとう
茨城県
三橋昭子 様
91 歳
忘れられない弟へ
埼玉県
宇田川直孝 様
65 歳
主人とコーヒー
千葉県
坂井貴美子 様
74 歳
お父さんごめんなさい、ありがとう
東京都
山本聡子 様
47 歳
天国の妻への手紙
北海道
辻信雄 様
80 歳
お父さんへ
長崎県
松永和子 様
50 歳
私と結婚してよかったですか
群馬県
平松恵子 様
67 歳
父の娘
東京都
萩原康子 様
68 歳
最後の送り状
埼玉県
船戸由和 様
42 歳
母につたえたい心の手紙
千葉県
植草里美 様
58 歳
天国のお母さん、
今、伝えたい私の思い
宮城県
大久保克子 様
62 歳
あなたへ
愛媛県
乗松カズ子 様
71 歳

募集要項

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