第6回受賞作品つたえたい、心の手紙
第6回受賞作品紹介(7作品)
父の死をきっかけに異母の姉がいることを知った、娘から父へのお手紙「涙のわけ」をはじめ、1,304通より選ばれた、7作品をご紹介。
受賞作品一覧
-
涙のわけ
父さん、突然逝ってしまったから、お別れも言えなかったです。誰よりも優しくて笑顔が素敵な父さんに、悲しい過去があったのに何も知らず、幸せに生きていました。 父さんが遺してくれた家の名義変更がきっかけで、姉さんがいることが分かりました。母さんと出会う前に、結婚して娘がいたのですね。私は勇気をだして、姉さんに会ってきましたよ。遠く離れた三重県で、結婚もして元気に暮らしていました。 八歳の時に別れてから、二度と会うことができなかった話。父さんが何度も会いにきたけれど、祖父母に追い返されていたこと。近所の人に頼んで、おもちゃを渡したこと。離れたくて離れたのではなく、引き離された話を聞きました。最後に会えた日に父さんから貰(もら)った、涙でにじんだ手紙と、大きな十字架のペンダントは今も宝物だと言っています。 私が父さんから限りない愛情をそそいでもらって育ち、沢山の楽しい思い出を持っている陰で、寂しく育った姉さんがいたのですね。幼い姉さんは、どんなにか父さんに会いたかったのかと思います。 父さんが、お酒を飲むと泣いていたわけがやっと分かりました。姉さんを思っていたのでしょう。会いたくても会えない辛さ、悲しさを涙の中にしのばせていたのですね。 亡くなる前に、どれほど会いたかったことでしょうね……話してほしかった。 姉さんは親戚から、父さんが再婚して私が生まれたことを聞いていたようです。そしてまだ赤ん坊の私を、そっと遠くから見たと言っていました。父さんにそっくりな、あの笑顔を私に向けて「捜してくれてありがとう。とても会いたかった」そう言ってくれましたよ。父さんが恋しかった話も、十六歳で母親が亡くなり、高校を中退してしまった話も、全部笑顔に包んで話せる人です。 私はこれから、父さんが結んでくれたこの縁を大切にしていきます。姉さんと仲良く支え合って生きていきますね。 もう安心したでしょう……父さん。
-
母さん ありがとう
母さん、もうすぐ母さんの3回忌がやってきます。あの大津波からせっかく助かった命だったのに、まさかあんなに急に病気で逝ってしまうなんて思いもしませんでした。母さんの事を思うと、今でも涙がこみ上げてきます。もう少し生きていて欲しかったな。もっともっと陽だまりにいたかった。 末っ子の私は、実家のすぐそばに嫁ぎ、今では孫まで生まれて幸せに暮らしているけど、いつも母さんは私の体の事を心配していたね。それは、私が先天性の股関節脱臼だったから。若い時から「腰が痛い、膝が痛い」ってずいぶん病院に連れて行ってもらいました。お陰で、普通に結婚、出産することができたけど、ずーっと「自分の責任だ」と思い続けていたんだよね。そんな気持ちが分かっていたから、母さんが生きているうちは、絶対に車いすになったり、足を引きずったりしたくないと思っていたんだよ。 お葬式が終わって1ヶ月くらい経った時、「もういいかな」と仙台の「東北股関節センター」に初めて足を運びました。診て下さったお医者さんが、なんて言ったと思う? 「あなたが受けた治療は、この時代では最高の治療です」 この言葉を聞いた時、お医者さんの前なのに涙をこらえることができませんでした。生まれて1年6ヶ月経っても歩かない私を病院に連れ歩いた1年半。朝3時に起きて農作業をし、朝ご飯の準備をしてから重い私を背負い、病院に通ってくれたんだよね。きっと肩身が狭かったんだろうな。私を歩かせたい一心だったのでしょう。 それから思ったよ。もっと早く病院に行けば良かった。そして、「最高の治療だった」という声を伝えれば良かった。そしたら、少しは、責任という肩の荷が下りたかもしれないのに……。 母さん、ありがとう。「いずれ手術は宿命」と言われたけれど、大丈夫。母さんの思いを胸にがんばれるよ。
-
お母さん、ごめんなさいね
お母さん、私を生んで下さったお母さん、あなたの名前は「長野クラさん」というのですね。あなたの娘清子は八十五歳になりました。この年になってとても残念なことが一つあります。それは、あなたのお顔もお姿も知らないことです。何故ならあなたは私を生んで間もなく亡くなってしまったからです。私が三歳になったころ、二度めの母が来ました。私はその人を本当の母親だと思って育ちました。その人はとてもきびしくて、返事が悪いといっては叱(しか)り、勉強ができないといっては叱りました。私は母親というのはこわい人だと思っていました。成人して二十歳を過ぎた頃、母の実家の集落の集会に出て、ふとしたことから今の母が実母でないことを知らされました。それは大変なショックでした。生みの母親のことを知りたいと思ってもどうすることもできませんでした。結婚して自由になってから、早速区役所に行って戸籍を調べました。お母さんの生家は筑後川上流の山田村ということがわかりました。私は不安な気持ちをおさえてお母さんの生家をたずねました。初めて会った私に「クラちゃんは、わしが妹たい」と言ってそこの御主人は涙を流して喜んで下さいました。お母さんのお姉さんや弟さんにも会いました。みんなやさしくしてくれました。写真も見ました。目の細いやさしそうな人でした。 私は、晴れ晴れとした気持ちで、いつの間にか歳月を重ねてしまいました。 去る六月十七日に、主人が急性腎不全で、突然亡くなりました。主人の位牌(いはい)を見て急に思い立ったのです。この際、生母クラさんの位牌を作って主人と一緒に供養したいと思うようになったのです。早速私の実家の甥(おい)にたのんでクラさんの戒名を調べてもらいました。 これからは主人とお母さんの位牌を並べて供養することができるのでホッとしています。 お母さん、長い間供養もせずにごめんなさいね。あの世へ行ったら、うんと甘えさせて下さい。清子の長年の念願だったのですから。
-
いつもそばにいるあなたへ
思えば、「絵を描く人が好きだ」という風変わりなあなたのプロポーズから、私達の夫婦生活はスタートしたのですね。共通の喜びを大切にしている人と出会えたことがただ嬉(うれ)しくて、美術教師だった私は迷いもなくあなたと結婚し、専業主婦として暮らしてきました。三十年前のあの時は、急死したあなたにこんな手紙を書くなんて思いもしなかった。今となると、ちょっと切ない昔話です。 二年前の訃報は、外をちらつく雪と一緒に突然私の日常に舞いこんできました。寒さに身ぶるいしながらゴルフへ出かけていったあなた。私が朝送り出してから半日も経たずに脳幹出血でそのまま帰らぬ人となるなんて。「なんだか今日は気が進まないな」というあなたの呟(つぶや)きを、私は何度悲しく思い出したことか。ちょうど二人の子が自立し、親元を離れる矢先でしたね。全く家事をしない、ちょっと亭主関白を気どったあなたと二人きりの生活は心配だったけれど、そんな生活は春が来ても私のもとには訪れなかった。あなた、あんまりだと思いませんか。 あの日を境に、私を取り巻く環境は一変しましたが、私が思い出すあなたはいつも同じ。それは絵に親しむ私を常に側で支えてくれるあなたなのです。覚えていますか?私が初めて自分の絵を公募展へ応募した時のこと。自信作だったのに落選して肩を落とす私に、あなたは笑いながらこう言ってくれた。「一つの事に集中して頑張る時間こそ、神様が君にくれたごほうびじゃないの?それ以上に何が欲しいの?」と。私の絵が業者のミスで出展されなかったら、自分のことのように怒って抗議したこともありましたね。出会った頃から幾度となく二人で美術館へ足を運び語り合った私達の日々は、彩りに包まれていました。 正直なところ、あなたを思い出すと今も涙はとまりません。でも今なお、絵を描くことは私の生活の中心で、そうしてあなたと一緒に生きているのです。 ありがとう、あなた。
-
天国の母さんへ
母さん、あなたは白寿を迎えたばかりの2010年の春、桜の花に見送られながら天国へ旅だちました。その数ヶ月前、星野温泉で白寿の祝いを催した時は、地酒に頬を染め、はしゃいでいたのに桜の蕾(つぼみ)が一輪また一輪と花開く頃に病み、僅かばかりの日数で帰らぬ人となったのでした。 子や孫が病むと「どうか私の命と引き換えに、助けてやって下さい」と、神仏に願をかけていた、母さん。母さんが92歳を数えた師走でしたね。長男が66歳の若さで突然病死。その日から幾日も食事もとらず涙を流し続けた母さん……。葬式の日のこと、母さんは火葬炉に送り込まれようとする棺桶(かんおけ)を両手で掴(つか)み、放そうとしませんでした。そして火葬炉から取り出されたばかりの遺骨を素手で掴もうとし、皆から止められたのでしたね。覚えていますか?母さんは火葬場からの帰りのマイクロバスの中で、骨壺(こつつぼ)を抱えた孫娘に「私に持たせて」と願ってそれを受け取ると、自分の体内に食い込ませるように抱きしめていましたね。耳をすますと車内に、母さんの呟(つぶや)くような歌声が流れてきました。今でも私の耳に残っています。「ねんねこせ……、ねんねこせ……」92歳の母さんが、骨壺に収められた長男を胸に抱き、子守唄を唄うなんて。おぼつかない足取りで歩く母さんの後ろ姿に命のはかなさと無常を見た思いがしました、母さん……。 それから7年、母さんが天国へ旅だった夜、お坊さまが「こんな穏やかなお顔をされた方をお見受けしたのは、久しぶりでございます」と感動した面持ちで話をなさいましたよ。 母さん、母さんは何の心残りもなく、安らかな心で天国へ旅だったのですね?いや長男を看取ったその日から、この日を心待ちにしていたような、そんな気がしてなりません。 母さん、母さんが愛した長男、そして先に天国へ旅だった父さんと再会しましたか? 「待っていたかい?寂しかったろう」と、顔をクシャクシャにしている母さんの姿が見えるようです。
-
まっさんへ
あなたは、私を、そしてあなたの子供ではない三人の子供達を、見返りのない愛情で、ずっと支え続けてくれました。 私が、生後八ヶ月、二歳、五歳の子供達を連れて故郷に戻り、就職して四年目。過労と睡眠不足から『パニック障害』になり、辛い日々を送っていたとき、あなたは現れました。弟のバイク仲間で、唄の好きなトラックの運転手さん。あなたは事あるごとに子供達によくしてくれ、次女が入院したときには、長女と一番下の息子の面倒をみてくれましたね。娘のピアノの発表会の日、「仔犬のワルツ」を弾いた長女に、「よく頑張りました。ご褒美は仔犬です」と、ずっと欲しがっていたミニチュアダックスを買ってくれました。実の父親と離れた寂しさから反抗ばかりしていた長女に、あなたは本当の父親のように接してくれました。誰が見ても、娘とあなたは本当の親子でした。今、仔犬があなたの形見です。 年上のあなたを、私は「お父さん」のようにしか思えず、あなたにとっては子供が四人いるような感じだったでしょう。もう結婚はしたくないと思っていた私は、あなたの気持ちを受け止められず、あなたに辛い思いをさせていたと思います。ごめんなさい。真夜中仕事に出掛けるあなたに、寝ぼけながら作る私のお弁当は、毎日、白い御飯に梅干しと卵焼き。それでも、「ありがとう。行ってきます」と嬉(うれ)しそうに手を振るあなたは、生真面目を絵にかいたような人でした。 今まで一度も病院に行ったことのなかったあなたが、急な入院。そして数ヶ月後に逝ってしまってから、はや三年。あなたへの沢山の感謝の気持ちと、言葉にできない後悔の念が、今も私の胸を締め付けます。 私と子供達はいつも、あなたのことを話しています。「まっさんが唄う『宇宙戦艦ヤマト』、聴きたいね~」……あなたは今でも、子供達の「本当のお父さん」です。
-
天国の井上くんへ
今頃、天国では走り回っていますか?野球が好きだった君は、訓練の風船バレーに燃えていたよね。動かなくなってゆく手足の進行を少しでも遅らせようとどんな訓練も頑張っていたよね。勉強の時は手が疲れると、鉛筆を口でくわえたり、洋服を口で噛(か)んで動かしたりと、それこそ命を削って学んでいたね。筋ジストロフィー症のみんなはすごく頑張っていたね。 きっと辛いこと悔しいこと悲しいことが言い尽くせないほどあったのだろう。そしてたどり着いたのだろう。その笑顔に。その思いやりに。その強さに。 私は大学を卒業してすぐ病弱の子どもが通う養護学校に配属された。初日に出会ったのは重度の筋ジストロフィー症の高校生だった。ショックだったよ。世の中の高校生が青春を謳歌している時、君たちはベットの上で寝返りさえできないでいるのだから……。それでも誰もがやさしかった。新任教師の私に教えてくれたよ。先のために今を生きているのではないと。今を力いっぱい生きているのだと。 そして井上君は私に言ったね。「先生、赤ちゃんできたら障がいがあっても絶対産んでね。僕はこんな体でも生まれてきて、本当によかったんだから」その言葉は何年たっても心にずっと刻まれていたよ。 井上君ありがとう。私は今、重度の知的障がいを持つ子の母親だよ。その子ももう井上君より大きくなって二十歳になったよ。しゃべれないけど、「シアワセ」って言葉を覚えていつも私に言ってくれるよ。 天国から見ていてくれるかな?みんなにもよろしくね。みんなのおかげで、先生は毎日頑張れるよって。伝えてね。
- 適当なあなたへ
- 大阪府
- 岸井洋子 様
- 62歳
- もう一度会いたいよ
- 愛知県
- 井上美貴 様
- 42歳
- ちよばあちゃん
- 東京都
- 伊藤尚紀 様
- 60 歳
- コロッケは、おかんの味だよ
- 北海道
- 中尾則幸 様
- 66 歳
- 世界一大切なあなたへ
- 埼玉県
- 宮坂久代 様
- 67 歳
- 一緒に泣いて、一緒に笑って
- 青森県
- 髙森美由紀 様
- 33 歳
- 私のお父さん
- 熊本県
- 吉村ミサト 様
- 27 歳
- お父さん、ごめんなさい。
そして、ありがとう - 愛知県
- 八木せい子 様
- 67 歳
- 親父へ
- 東京都
- 鈴木勝義 様
- 53 歳
- 自慢のお父さん
- 長崎県
- 矢野麻衣 様
- 29 歳
- 母の置き土産
- 群馬県
- 斎田昌男 様
- 84 歳
- 父への手紙
- 群馬県
- 高山恵利子 様
- 59 歳
- 真の愛
- 神奈川県
- 植田旭彦 様
- 70 歳
- ぼく、結婚したよ!
- 神奈川県
- 本間一孝 様
- 46 歳
- ありがとう。おとうさん
- 埼玉県
- 田中和子 様
- 71 歳
- ありがとう お父(おどう)
- 埼玉県
- 小玉健二 様
- 62 歳
- 不器用なお父さんへ、
不器用な娘からの手紙 - 東京都
- 村田まき 様
- 42 歳
小冊子プレゼント・書籍のご案内
受賞作品を1冊にまとめた小冊子を毎年1,500名様にプレゼント。
小冊子プレゼントページ